仲間が取り戻してくれた本来の自分
~今まで見ることができなかった新たな世界で~(取材日: 2024年12月)

突然の出来事
-はじめに、家族構成について教えていただけますか?
はい、大阪在住で家族は夫と成長した息子が2人います。
-診断のきっかけはどのようなものでしたか?
ちょうど転職をしたばかりで、新しい会社での研修中に受けた就業前健診でレントゲンに影が映ったことがきっかけでした。それまで全く自覚症状はなく、咳も喘息のせいだろうと軽く考えていたため、まさか肺がんだとは夢にも思いませんでした。診断確定までの間は、CTに加え気管支鏡やPET、MRIなどさまざまな検査を受けました。
-治療に関して、どのような説明を受けましたか?また、どの治療を選択しましたか?
最初の説明では、医師から「今は良い薬があるから大丈夫ですよ」と言われたのですが、正直、私は「手術で完治するのではないか」と勝手に期待していた部分もあり、化学療法という選択肢については当初あまりピンと来ていませんでした。
確定診断時は、私自身は気持ちがいっぱいいっぱいで、何が何だかわかっていなかったのですが、今考えればとても多くの時間を割いて丁寧に説明をしていただいたと思います。初回の説明の後、2-3日後にも再度説明のお時間をいただきました。
治療に関しては、当初、先生から3パターンほど提示されたのですが、はじめは情報が少なく、薬の名前もカタカナばかりで何が何だかわからず、説明を受けても理解するのが困難でした。そんな時、加入していたがん保険の相談窓口を見つけ、そこに連絡をしてみたところ、とても丁寧に説明をしていただき、自分に最善と思われる治療を選択することができました。
子どもの卒業式に出たい
-診断された後、どのようにして気持ちを治療に向けることができたのでしょうか?
やはり子供のことですかね。私が病気になった当時、上の息子は大学1年生で、下の息子は中学2年生でした。まだ中学生だった息子の卒業式や高校の入学式に出席したいという気持ちが私を治療に向かわせる大きな原動力となりました。
-情報収集には、インターネットなども活用されましたか?
はじめは使っていたのですが、肺がんなどと検索するとすぐに生存率などに関する情報が出てきて、私が目標としていた下の子が高校を卒業するまでの期間を計算すると、とても低い確率となっていたため、怖くて使うことができなくなりました。インターネットは、知りたい情報よりも知りたくない情報ばかりが先に表示されてしまうので。
副作用、将来への不安との闘い
-これまでの治療内容を詳しく教えてください。また、治療後の体調はどのように感じていますか?
治療開始前にEGFR陰性であることがわかり、抗がん剤治療を4クール行いました。その後、維持療法として代謝拮抗薬と血管新生阻害薬という薬を使った治療へ移行しました。当初は臨床試験に参加していたので、頻繁に病院へ通っていました。ALKはEGFRより遅れて検査結果が出ましたが、結果が出た時にはすでに抗がん剤治療を開始していました。後に腫瘍マーカーが上がってきていたこと、画像上でも縮小していたがんが大きくなっていたことから分子標的治療薬へ変更しました。抗がん剤治療中、最初は平気だった副作用も回を重ねるうちに強くなり、身体的にも精神的にもつらかったです。分子標的薬に変更してからは、副作用もやわらぎ、日々の生活をすこしずつ取り戻すことができました。
-治療で辛かったこと、そして支えになったものは何ですか?
やはり、母として日常を過ごしながらも、将来への不安と恐怖が常につきまとう状態というのが一番こたえました。特に夜はつらく、当時は毎日布団の中で泣いていました。目が覚めないのではないかと、毎日寝るのが怖かったです。
また、初期の治療では副作用が特に辛く、倦怠感や色素沈着に日々悩まされました。体力が落ちる中で、思うように動けない自分に対する苛立ちや不安も大きかったです。そんな時、家族の存在、とりわけ息子たちの笑顔や励ましが私を支えてくれました。毎日のたわいもない会話や、一緒に過ごす時間が何よりも私の心の支えとなりました。また、患者会でのつながりも大きな力になりました。同じように治療に向き合っている仲間との交流を通して、「一人じゃない」という実感が得られたことは、精神的にとても助けになりました。彼らと悩みや不安を分かち合い、副作用に対する対処法や前向きな話を聞くことで、「私も頑張ろう」と思えるようになりました。治療の過程で孤独感を感じることも少なくありませんが、仲間の存在は、何にも代えられない大きな支えであったと感じています。
かけがえのない仲間たちとの出会い
-肺がん仲間との出会いのきっかけについて教えてください
きっかけは、自分が抱えていた心のモヤモヤを誰かに話したい、わかってもらいたいというものでした。家族もそばにいてくれましたが、やはり家族には心配をかけたくない、また家族にはこの気持ちをわかってもらえないだろうと思ったからです。例えば副作用で苦しんでいる時も、家族は言葉では理解できても、当然のことなのですがどうすれば少しでもこの状況を改善できるのかなどはわかりません。これが同じ病を抱える人であれば、自身の経験をもとにした具体的なアドバイスが聞けるのではないかと思ったのです。それで、インターネットの使用を再開しました。がんのことを調べるのではなく、同じ境遇の人とつながるために。ステージⅣで化学療法を行った後、自分がどうなっていくのかその先を知りたかったのです。
ただ、世代的にインターネットを怖いものと思っていた部分もあり、最初は懐疑的だったのですが、とあるブログにたどり着いてからは、これは本当かもと記事を読むようになりました。はじめは肺がんの方があまりいなかったので婦人科系のがん患者さんとつながったのですが、そのうち肺がんの患者さんも多く参加されるようになり、そうしてからは私だけじゃないのだと思えるようになりました。
-オンラインでの情報発信等には以前から積極的な方だったのでしょうか?
まったくしたことがなかったです。もともと友達は多い方だったので、その人たちと会ってワイワイすることはありましたが、オンラインではまったくありませんでした。よく驚かれるのですが、私は実は人見知りな性格で、知らない人とは話もできなかった人間なのですが、病気になってからは家族も驚くほど積極的になれました。これまでは郊外に住んでいることもあり、移動は車ばかりだったのですが、今では電車移動が増え、電車でどこへでも出かけて行けるようになり、今まで見ることができなかった世界が見られるようになりました。
-患者会はどのように立ち上げられたのですか?
まず、以前参加していた患者会の人と、女性のみで構成された会を立ち上げました。当初は、お互いの子供が学校へ行っている間に集まり、一緒に食事をしながら話をするだけのものでしたが、その後3年くらいしてずっと住んでいる大阪に肺がんの患者会がないことがわかり、誰でも参加できる形にしようということで患者会を立ち上げました。
また、コロナが始まってからは対面ではなくオンラインを利用しての開催となりましたが、これがきっかけで大阪に限らず全国さまざまな地域の患者さんとつながることができるようになりました。
-患者会などのコミュニティはご自身にとってどのようなものですか?
私にとってコミュニティは心のよりどころであり、人生において非常に大切な存在です。特に患者会では、自分だけでなく他の参加者にとっても安心して語り合える場所を作ることが使命だと感じています。このコミュニティを通じて、私は自分だけではなく同じような悩みを抱える多くの人がいることを改めて実感しました。特に、これまで孤独を感じていた患者さんが、同じ境遇の仲間とつながることで前向きな気持ちを持てるようになったケースを見ると、この活動の意義深さを強く感じます。患者会では、単に病気について語るだけでなく、日常生活や家族との関係、治療後の生き方など幅広いトピックが話題になります。そのため、メンバー同士が深い信頼関係を築き、一緒に希望を見つけていく場でもあります。私自身も、これまで様々な試練を乗り越えてきましたが、コミュニティの仲間たちのおかげで、私は自分らしくいられる場所を見つけることができたと思っています。患者としての経験を共有し合うことで、心の負担を軽くし、未来への希望を見出すことができると信じています。コミュニティは、私たち一人一人にとって欠かせない存在であり、共に歩んでいく力を与えてくれるものですね。
患者同士の絆やサポートが、どれだけ大きな助けになるかを日々実感しています。
病気のことを周りに伝える難しさ
-家族や周りの方にどのように病気を伝えましたか?
おそらくがんであろうという告知は、あまりにも急だったため、私ひとりで話を聞きました。喘息以外は症状もなかったですし、この時は肺がんでも手術で取ったら終わりと思っていたため、家に帰ってどうやら肺がんらしいと軽く伝えました。ステージ確定診断時は、夫、母、叔母の三人が付き添ってくれました。
-病気になる前となった後で周りの人たちとの関わり方に変化はありましたか?
下の子が高校生になったとき、「ママ友は作らないでおこう」と思っていました。いつまで元気でいられるかわからなかったからです。その気持ちはだれに対してもありました。副作用があった抗がん剤治療中は、友達からも距離をおいていました。
お仕事はどのくらいされていたのですか?
がんになってから7年くらいですね。病気や患者会のことも理解してくれている会社だったのですが週5日勤務だったため患者会の活動を優先したくて退職させてもらいました。
-治療しながら仕事を継続する上で、何か支障等はありましたか?
実は現在も仕事はしています。今の職場には病気の事は言っていません。検査や診察で病院に行く日があるので、行きやすいように派遣で週2~3日働いています。病院の日は休みたいと言っておけばシフトに入ることもないので気楽です。
-周りの人にしてもらって嬉しかったこと、反対に嫌だったこと、してほしかったことはありますか?
やはりがんと診断された直後は、家族もどう接して良いのかわからず、腫れ物に触るような感じだったのですが、そこは普通に接してほしかったです。私も心に余裕がなかったため、些細な行き違いや相手の気持ちを汲めず口論になってしまうこともありました。
がんになったからこその出会い
-病気になる前となった後でご自身の気持ちの持ち方や日々の生活に変化はありましたか?
がんになってなかったら、正直普通に生きていたと思いますし、がんになって気持ちも落ち込みましたが、がんになったことによっていろいろな人たちと出会え、その中で悲しいこともありますが、それでも素敵な仲間がいる今の方が楽しいです。がんになって良かったとは思わないですけどね。
-現在の生活で楽しみにされていることは何ですか?
患者会の人たちと一緒にいる時ですね。がんになる前からいる友人たちと一緒にいてももちろん楽しいのですが、同じ境遇の友人たちといる時は一緒にこれまでできなかったような体験ができてより楽しめるんです。
また、ブログでは旅行や普段の生活で撮影した写真をみんなと共有することで、さらに深い繋がりを感じています。写真を通じて旅先や日常での経験を伝えたり、それに対するコメントをもらったりすることで、喜びや希望を共有できるのがとても嬉しいです。
希望を持って明るく過ごして
-これからの目標などがあれば教えてください。
自分自身の目標は、老衰になるまで生きることです。
-これから治療を開始する方、治療中の方へメッセージをお願いします。
やはり肺がんと言われたら、誰でも落ち込むと思いますし、自分以外の人全員が幸せに見えて、自分だけが違う世界に置かれてしまったような気持ちになると思います。実際、私もそうでした。でも、そうじゃないよと。肺がんにはなったけれど、今は薬も沢山あるし、治療をして長生きしている人が沢山います。泣きたい気持ちもわかるけれど、泣いていたらもったいないよと。希望を持って明るく過ごしていただけたらと思います。
2025年4月掲載