自分の希望を伝え、納得できる治療に
~大病の経験を経て、肺がん治療に臨む~(取材日:2024年10月)

自己免疫疾患の受診で左肺上葉にすりガラス陰影
-どのようなきっかけで肺がんが見つかったのでしょうか。
2015年に、自己免疫疾患で病院を受診した際に受けたCT検査で、左肺上葉にすりガラス陰影があるといわれました。肺腺がんの疑いとのことでしたが、陰影が薄く大きさも1センチ未満なので、0期(ステージ0)としてそのまま経過観察になりました。
-何か治療はおこなわなかったのでしょうか。
経過観察中は特に治療はなく、半年に1回程度の画像検査で陰影を確認するだけでした。5年後の2020年の1月ごろ、すりガラス陰影の芯が濃くなり、それが1センチ大になったため、Ⅰ期(ステージ1)になった可能性があるとのことでした。当時は呼吸器内科を受診していたのですが、Ⅰ期(ステージ1)だとすれば手術をしたほうがよいということで、外科の先生を紹介されました。
-それで、手術を決心されたわけですか。
すぐには決心できませんでした。
ずいぶん前の話ですが、長男の出産時に大出血を起こした際の輸血液にC型肝炎ウイルスが含まれていたようで、出産後に劇症肝炎を発症しました。有効性の高い薬も開発されていたので肝炎はおさまり、その後は経過観察となったのですが、そのときにかなり苦しい検査を何回も受け、入院治療もつらかったので、手術に対してもとても抵抗がありました。
外科の先生に手術は受けたくないと伝えると、陰影の場所が肺の胸膜の近くなのでリンパ節に転移する可能性があり、ほかの場所にも転移しやすいので、手術は早いほうがよく、今手術をすれば完全に治る可能性が高いといわれました。家族や友人にも相談したところ、手術で治せるのなら早いほうがいいのではないかといわれたこともあり、手術を受けることにしました。
術後は吐き気や息苦しさ、傷口の化膿に悩まされた
-手術は大変でしたか。
腫瘍が小さかったこともあって、手術は特に問題なく終わりました。手術の後は、肺の中に水が溜まり、肺の外側に空気も漏れるので、それらを排出するためにドレーンと呼ばれる管をしばらく装着しました。管は通常2~3日で外せるそうですが、私の場合は胸水や空気漏れがひどく、外すまでに1週間ほどかかりました。そのころは新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の流行の最中でしたので、大事を取って2週間入院することになりました。
-術後につらいことはありませんでしたか。
私の場合は麻酔を使うと吐き気を催すことが多く、肺の手術をした日は激しい吐き気が止まらず、一晩中眠れませんでした。吐き気止めを点滴に入れてもらうと、今度はその副作用なのか、ひどい頭痛で、意識がおかしくなるようでした。
さらに、手術が終わって麻酔から覚めると胸がきつく縛られているような圧迫感と喘鳴(呼吸時にぜいぜい、ひゅうひゅうという音がすること)で、息苦しくて気を失いそうになりました。主治医や看護師さんはいろいろ処置をしてくれるのですが、何をしても苦しさがなくならないため、朦朧(もうろう)とした意識の中で、元に戻るのを待つしかない、我慢するしかないとただひたすら自分に言い聞かせていました。
-退院後の経過を教えてください。
退院後は手術による傷が治るのを待つ毎日でしたが、しばらくすると傷口が化膿し、また病院に通わなければならなくなりました。病院に数日おきに通院し、ガーゼ交換や膿の絞り出し、傷口の消毒等をおこないました。痛みがひどかったので、鎮痛薬もたくさんいただきました。
切除した腫瘍はⅠ期(ステージ1)とのことでした。無事に切除できたので転移の心配はないといわれ、少し安心しました。ところが左の肺の上半分がなくなったことにより、気管全体の形が変わり、空気が通りにくくなってしまったことで、さらに息苦しくなりました。
就寝時に仰向けになると苦しくて眠れないため、横を向いて落ち着くのを待たないと寝られなくなりました。また左の肺を切除したので左を下にするとさらに苦しくなるのですが、就寝中に寝返りで左が下になると、苦しくて飛び起きることがよくありました。主治医にはしばらくすると落ち着くといわれましたが、就寝時の呼吸の問題は今もまだ続いています。
手術の3年後に右肺の中葉にがんを発症し、放射線治療を受けた
-術後の生活はいかがだったのでしょうか。
術後の痛みがなくなっても息苦しさだけはありましたが、あとは定期検査を続けるだけで普通の生活に戻りました。それで3年ほどたった昨年3月の検査で、今度は右肺の中葉にがんが見つかり、すぐに切除しましょうと強く勧められました。
-それで右肺の手術も受けられたのでしょうか。
いいえ。1回目の手術で苦しい思いをしたので、また手術なんて絶対に受けたくないと思いました。定期検査では肺機能検査もおこない、COPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断されていました。これ以上息苦しくなったらまともに暮らせないと思い、主治医には手術は受けませんとはっきりお伝えしました。
私がかたくなに手術を拒否するので、主治医は少し戸惑っておられました。そのまま放置しておいて転移でもしたら、さらに治療が難しくなるとお考えのようでした。その後も繰り返し手術を勧められたのですが、私が聞き入れないので根負けされたようで、それでは放射線治療はどうかと提案されました。最初は少し迷いましたが、手術ではないのならまあいいかと思い、放射線治療を受けることにしました。
-放射線治療をどのように進められたのか教えてください。
右肺中葉のがんの画像は前回の左肺上葉のときとは異なり、大きさが2センチぐらいの、はっきりわかる影でした。病期はⅠA3期(ステージⅠA3)で、放射線治療の効果も十分に期待できるといわれました。
私の場合は、定位放射線治療という方法をおこないました。従来の放射線治療では、がん周辺の重要な臓器まで痛めてしまうリスクがあったそうですが、この治療法では、がんの場所にほぼピンポイントで照射されるので、周辺の臓器を傷めにくいとのことでした。
放射線治療は、信じられないくらい楽に受けることができました。放射線の照射中は身体を動かしてはいけないので、照射の約40分間は身体が完全に固定されて呼吸が浅くなり、苦しさはありましたが、治療自体も4日間で終わり、副作用による生活への影響もほとんどありませんでした。
とにかく数年は新型コロナに振りまわされた
-外科手術や放射線治療を受ける過程で困ったことはありましたか。
手術を決心した時期は、ちょうど新型コロナが流行し始めていたので、手術を延期すべきか悩みました。ただ収束の見通しがまったく立ってなかったので、さらに状況が悪くなったら病院も閉鎖になって手術も受けられなくなるかもしれないと思いました。主治医の先生も「できるときに手術を受けられることをおすすめします」とおっしゃったので、手術を受けることにしたのを覚えています。その後、新型コロナの流行状況はさらに悪化しましたから、あのとき手術をしておいてよかったと今は思っています。
-ほかにも新型コロナの影響はありましたか。
手術の日、夫や姉との面会はガラス越しでした。さらに入院中は面会禁止になり、家族と会えなくなりました。その後、手術は成功して無事退院しましたが、リハビリのために散歩をしたくても、新型コロナの感染がこわくて外出できませんでした。
また、私の仕事は、顧客と長時間、直接面談しなければならないので、コロナ禍では思うように仕事ができなくなりました。また、顧客との面談のために持ち歩く荷物が重いこともあって、体力的にもしんどいので、仕事をやめることにしました。自分なりに頑張ってきたのでやり切った感もあり、やめたことに後悔はありませんが、とにかくその時期は新型コロナに振りまわされました。
周囲には心配させないように淡々と接している
-最初にすりガラス陰影を指摘され、それから5年後に肺腺がんと確定診断されたときはどのようなお気持ちでしたか。
すりガラス陰影といわれたときは、こんなものは多かれ少なかれだれにもあるはずと思い、あまり深刻にはなりませんでした。しかし、その5年後に肺腺がんのⅠ期(ステージ1)の疑いといわれたときはさすがにショックでした。肺がんはがんの中でもやっかいだとか、有名人が肺がんで亡くなったとか、当時はいろいろいわれていましたので、かなり落ち込みました。出産で大出血、続いて肝炎、そして肺腺がんと続いて、なぜ次々とこんな目に遭うのだろうとつらい思いをしました。
-がんと診断されたとき、ご家族等の周囲の方たちにはどのように伝えられましたか。
私は長年肝炎の治療や検査に1人で通っていて、診断された日も1人でしたので、主人にはメールで伝えました。影があることは前から話していたので、それほど驚くことはないと思っていましたが、帰宅して主人の顔を見るといつもと顔つきが違うので、結構ショックだったのかなと思いました。
長男はもう結婚していて別に暮らしていたので電話で伝えました。もともとあまり感情を出さない性格なので、手術で治るなら手術でいいのでは、と落ち着いた対応でした。
また一番身近な存在である姉には、肝炎のときも肺がんのこともこまめに話していました。手術についても姉がすぐに背中を押してくれたので、ありがたい存在だと思っています。
実は私自身は不安でいっぱいでしたが、表に出すとみんな心配すると思ってひたすら淡々と接してきました。みんなも本当は心配しているはずですが、私に合わせて淡々と現実を受けとめてくれているように思います。
あらためて、好きなことを楽しみにしていきたい
-周囲の皆さんはかがみさんを温かく見守られているようですが、何かしてもらいたいことはありますか。
リハビリを兼ねて、姉やかつての仕事仲間と一緒にハイキングやウォーキングによく出かけます。ただ、息切れがあるので一緒に行く人たちと同じスピードではなかなか歩けません。そういうときは、ちょっとゆっくり歩いてくれないかなとよく思います。ただ筋肉が衰えることは心配なので、しんどいからといってじっとしていてはいけない、できるだけ動いていないといけないという気持ちは常にあります。
そういう意味では、山歩きが趣味の姉にはとても感謝しています。私の手を引き、背中を押して知らないところにいろいろ連れて行ってくれます。それが身体を動かすことの動機づけにもなり、最近は太極拳やヨガも始めました。息苦しさのために、健常な人と同じようにできないことは、少し歯がゆく思います。
-これからしてみたいことはありますか。
もともと絵を描いたり写真を撮ったりすることが好きなので、これからはあらためてそうしたことを楽しみにしていこうと考えています。また最近、音信不通だった昔の友人に連絡を取って久しぶりに再会し、昔話で大いに盛り上がりました。そうしたことも続けていきたいと思います。
-ブログを書かれていますが、それも楽しみですか。
ブログは肝炎の治療中に始めました。そのころは肝炎の治療を始めた人が非常に多く、ブログを通した情報交換も盛んにしていました。しかし、肺がんに関しては、情報交換はそれほど多くはありません。私は肺がんと診断された後、同じような病状の方のブログを何度も探しましたが、なかなか見つかりませんでした。早期の手術で寛解した人はブログの更新が止まることが多いからだと思います。
私の場合は更新を続けているので、少しずつコメントをもらえるようになりました。「自分と同じ状態の方のブログが見つからないので不安だったが、私のブログにたどり着いて自分の先の状況の予想がつくので心強く思った」と書き込んでくれた方もいらっしゃるし、検査で白い影が見つかってすごく心配したが、私の経過と今元気に暮らしている様子を知って治療に前向きになれたとのお言葉もいただきました。
不安を抱えておらえる方のお力に少しでもなれればうれしいので、これからもブログは書いていくつもりです。
肺がんと診断されても悲観的にならず、前向きに治療に臨んでほしい
-現在は経過観察のみとのことですが、どのように過ごされていますか。
肝炎と肺がんを経験して思うことは健康の大切さです。今は経過観察だけですので、できることはあまりありませんが、健康的な食事を心がけています。私は甘いものが大好きだったのですが、甘いものも控えるようになりました。そうしたことがどのような影響があるのかはわかりませんが、とにかく健康第一に考えて過ごしたいと思います。
-最後に読者の方たちにメッセージをお願いします。
肺がんの診断のために気管支鏡検査がおこなわれます。呼吸がしにくく苦しい検査ですが、現在は麻酔をして眠ったような状態で検査をおこなうこともできます。また私が再発のときにおこなった放射線治療もそうですが、次々に治療の開発が試みられています。ですから、もし肺がんと診断されたら主治医の先生とよく相談し、ご自分の希望もしっかり伝えた上で、決して悲観的にならず、前向きに検査と治療に臨んでいただきたいと思います。
また、ご家族等の周囲の方たちは、世の中にあふれるさまざまな情報に惑わされず、初期の肺がんは寛解を期待できる病気であることをよく理解し、患者さんを温かく見守っていただきたいと思います。
2025年3月掲載