肺がん医療・疾患啓発のための市民公開講座

みんなで学ぼう!肺がんとの向き合い方・新しい治療 2023 in大阪

と き:2023年5月27日(土)13:00~16:00
ところ:ブリーゼプラザ 大阪市(会場+Webライブ配信)
共 催:特定非営利活動法人日本肺癌学会 アストラゼネカ株式会社

特別演題⑤ 肺がん体験談

聞き手 笠井信輔 フリーアナウンサー
話し手 青木さやか 女優/タレント


笠井さん:青木さんは6年前に肺腺がんを患っていらっしゃるということなんですけれども、どういう経緯でがんが見つかったんでしょうか。

青木さん:がんがみつかったのは6年前だったのですが、実はその3年前、先輩に無理やり連れていかれて人間ドックを受けまして、その時に肺に小さな影があると言われたんです。でもそれはすごく小さなもので、がんじゃないかもしれないということで、9年前から経過観察ということで、3か月に1回、検査を受けていました。

笠井さん:どうでした?その3ヶ月に1回の検査は。

青木さん:その影というものが「なくなってくれないかな」っていつも思いました。それから3年経って、がんの可能性が非常に高いというふうに言われました。

笠井さん:それが肺腺がんだったわけですね。その診断を受けた時はどんなお気持ちでしたか。

青木さん:がんかもしれないというのと、実際にがんですよと言われたそのインパクトというのはだいぶ違いました。私の両親はともにがんでしたし、祖父もがんでしたから、がん家系だということはわかっていましたけれども、親ががんになったのが50代とか60代とかだったので、まだまだ油断していたのかもしれません。ショックに続いて、お金のことや仕事のこと、家のことなど、いろんな心配事が頭のなかをめぐりました。

笠井さん:その時に、先生から手術しましょうってなったんですか。

青木さん:もう少し経過観察でもいいかもしれないという診断もありました。生活や性格など、いろんなことを話しながら、先生と一緒に決めていくっていうような感じでしたね。私が手術をしようと思った理由は2つありまして、こういう仕事をしているので、大きくなったので急に手術ですって言われると世間に公表しなくてはいけなくなります。
でも、子供が小さかったし、母が悪性リンパ腫で闘病していたので、あまり心配をかけたくなかったということが大きいですね。それと、身体の中にがんだと思われるものをずっと残しておくというのは不安ですし、取ってしまった方が私の性格的には合っているんじゃないかと思ったこともあります。

笠井さん:お子さんはおいくつぐらいでしたか。

青木さん:小学校の低学年でしたので、結局その時は全く伝えず、長期の仕事に行ってくると言って家を空けました。

笠井さん:入院はどれぐらいされたんですか。

青木さん:1週間弱だったと思います。

笠井さん:やっぱり早期だと短いですね。その時、自覚症状はありましたか。

青木さん:私、肺がんというと咳が出るとか声が出づらいとかそういうイメージをもっていたんです。でも、咳が出るとかもないし、声が出づらいとかも、本当に何もなかったんです。そんな状態なので、人間ドックを受けた時も、子宮がんや乳がん検査の時はすごく緊張してたのを覚えています。でも肺がんの検査の時は、緊張感なんてまるでありませんでした。自分と肺がんが結びつかなかったんです。だから手術を勧められたときも、なんかの間違いじゃないかって思ったほどです。

笠井さん:手術の日というのは自分で決められたんですか。

青木さん:舞台の稽古に入る前ぐらいに肺がんだということがわかって、千秋楽の次の日に入院しました。

笠井さん:そうやって計画的に対応するには、早期でみつけられたことが大きいですよね。

青木さん:すべきことはいろいろありましたが、本当にいろいろ準備できました。

笠井さん:手術に対してどんなお気持ちでしたか。

青木さん:やっぱり私にとって手術は初めてのことなので、「5時間ぐらいで終わりますよ」「これはたいしたことない手術です」って言われても怖いんですよね。それと、私は舞台の仕事もやっているので、肺がんの手術をすると、声が出づらくなるんじゃないかとか、息がもたないんじゃないかとか、不安はすごくありました。そうなってしまうと、じゃあなんの仕事をすればいいんだろうって、お金のことも心配でした。
でも今は、舞台に出る度に、よく声が出ている、迫力があるなって自分でも思っています。あの時すごく心配はしましたが、「大丈夫ですよ」って言ってくださったお医者さんの言葉どおりだったって、今になって思います。早期に手術ができたことは本当によかったと思います。

笠井さん:気持ちが落ち込んでいる時の支えは何でした?

青木さん:信頼できるお医者さんであるとか、専門家、そして友人です。つまり人なんだなと思いました。初めてそんな風に思ったかもしれません。入院してすごく辛く、痛かったり吐き気がしたりもするんですが、お医者さんや看護師さんが来てくれるだけで、薬を使うわけでもないのに楽になり、普通に喋れたりするんです。信頼できる人が近くにいることってすごく重要なんだなと思いましたね。

笠井さん:そうやって、いろんな人の助けを得ながら手術をして、状況はどうでした。

青木さん:初日はきつかったですね。目覚めて、麻酔が切れたところからすごく痛くて、咳をしたくなるんですけど、咳をすると手術のところが痛むんですね。したくないけど出ちゃうっていうような状況が数日続きました。あと麻酔によって吐き気があって熱が数日出ました。

笠井さん:その後、2回目のがんが見つかったのですね。

青木さん:はい。2019年、2年後ですね。

笠井さん:それは再発なんですか。

青木さん:再発だと思ったんですけれども、主治医によると、違うという説明でした。

笠井さん:新しい原発だったんですね。多くの人が、再発の時のショックの方が初発より大きいと聞くんですが、どうでした?

青木さん:2つの思いがありました。早いな、また手術か、ずっとこうして続くのかなって思ったのと、1回目でわかっている部分もあるので、心の準備みたいなものはできていたかもしれません。

笠井さん:二度の入院をして、いろいろ学んだこともあるという話を聞いたことがあるんですよ。

青木さん:そうですね。私は1人部屋ではなくて数人入っているお部屋に入らせていただいたんですけれども、私よりも明らかに症状が重い患者さんもいらっしゃり、そこで生活している姿にすごく学びがありました。私は病気になって、自分が可哀想だし、人に頼ってもいいんだ、みたいなところがどこかにあったのだと思います。でも明らかに私よりも病状が重い人がいつも先生に感謝を伝えるとか、できるだけにこやかにしているといった姿をみて、どういうふうに生きるかということを考える上で、そういう方々からも学ぶことは多いと思いました。

笠井さん:2度の手術を経て、今は公表してこういう活動もされていますね。その思いの違いはどこにありましたか?

青木さん:まず、母が先に亡くなり、子どもも大きくなったということがあります。それと、手術をしてくださった先生が、当時は公表していないけれども、もし皆さんにがんのことを伝える機会があったら、いろいろな経験を話してくださいねっておっしゃっていたことがあります。それは、早期発見できる病気ですよっていうことが大きいんだと思います。それに、がんって一言で言ってもいろいろありますよね。私は自身ががんを経験して、「がん=怖いもの」ではないと思うようになりました。今も検診は受けていますけども、自分ががんであったことを忘れているんです。だから人に「がんだったんですよね」と深刻そうに尋ねてくださる方もいるんですが、「そういえばそうでしたね」みたいな感じなんです。

笠井さん:そういうかたちで日常生活に戻っていけるというのは、いいことだと思います。
最後に青木さん、今日大阪の方々が会場にもいらっしゃいますし、全国の方々がこれをご覧になっていますので、この二度の肺がん手術の経験者からメッセージお願いします。

青木さん:私が主治医に何度も言われたのは、早く見つかってこんなにラッキーなことはないということでした。私自身、健康体でいられることにとても感謝していますし、自分の経験から、「がん=命を脅かすもの」だけではないこと、また定期的な検診は本当に重要なんだということを、身をもって知りました。がんに対する正しい知識が大切だと思います。症状がなくても検診を受け、気になることがあれば、1人でネットを見るだけではなく、信頼できる医療従事者やご友人に頼っていただけたらいいと思います。

笠井さん:貴重な経験をお話しいただきありがとうございました。